オンディーヌ室内管弦楽団の発祥について
当団には「オンディーヌ」という一風変わった名がついています。オンディーヌとは“水の精”で、 ドイツロマン派の作家フーケーの作品「水妖記」には、かわいらしい妖精として登場します。
妖精でありながら人間の魂を持つに至ったオンディーヌは、透明な湖水のように美しい心を持ち、 人間たちの幸福を切に願いながらも水の泡と化してしまいます。
この物語にちなんで、透き通るような美しい音色と、 人間味のある演奏をしていくことが私たちの目標です。
オンディーヌ室内管弦楽団について
1989年5月、東京工業大学管弦楽団のオケ学年5年(社会人又は大学院1年若しくは学部5年)のフルート吹きと太鼓叩きが中心となって、 自分たちのオーケストラを作ろうと思い立ちました。当時まさに大学院1年だった自分にも声がかかりました。
「ベートーベンの交響曲を弾きたいと思うでしょ?!一緒にやろうよ! 他でできない、やりたい曲をやってみようよ!」 当時はマーラーブーム真っ盛り。東京工業大学管弦楽団(東工大オケ)団員の総数は少ないながらトロンボーンなど金管楽器の人数は十分で、
演奏会で取り上げるのはチャイコフスキーやブルックナー、マーラー等の大曲ばかり。 金管楽器の少ないモーツァルトやベートーベンはやりたくてもできませんでした。
また、慢性的に人数不足の弦楽器はともかく、他のパートは4年生になるとどんな名手であっても学生オーケストラで活躍の場を得ることはほぼ困難です。
そこで、冒頭の話になったわけですが、ただでさえ人数の少ない東工大オケからメンバーを募るのは並大抵ではないうえ、 楽団の運営も手探りで困難の連続でした。しかし遂に1990年3月17日、記念すべき第1回目の演奏会にこぎつけました。
その時のメインの曲はベートベンの交響曲第4番です。この選曲に当時のこだわりと意気込みを感じませんか。 設立直後のオンディーヌ室内管弦楽団は、メンバーも練習場所もなかなか定まらず、組織運営が不安定で今にも空中分解しそうな状態でした。
しかし、何回か訪れた存亡の危機にもその時々に楽団を必死で支えるメンバーがいて、 その努力によって危機をひとつひとつ乗り越えながら少しずつ楽団としてまとまってきたのです。
40回以上の演奏会まで来ることができたのは、こうしたメンバー達のほか、見守ってくれる家族、そして聞きに来てくださるお客様 あってこそと感謝しております。
設立から20年以上経ち、東工大オケ以外の団体の出身者からも多くのメンバーを迎え、取り上げる曲目も多彩になりました。 一方で、年齢が上がって仕事や子育てのために参加できなくなるメンバーもいます。
しかし常にオンディーヌの根底にあるのは、一緒に音楽をしたい仲間が集まり、その時々に出来る限りの表現豊かな音楽を演奏することです。 そして何かの事情で出られなくなっても、いつでも帰ってこられるところでありたいということです。
これからも小編成ならではの機動力を生かして「なかなかできない、やってみたい曲」に挑戦する意欲を持続させながら、 もっともっと美しくて楽しい音楽を作っていきたいと思います。